TAKAMARUのメモブログ

このブログは、当初はdisやニセ科学批判に関する記事を書く目的で始めました。現在は、個人的なメモ帳となっています。

「学問の自由を云々するなら『軍事研究も好きにさせろ』が言えないとねえ」というKGN_works氏と同調する3803masa氏と、湯川秀樹氏の「世界の平和なくして学問はない」

KGN_works氏の主張と、3803masa氏の主張と、私の感想をメモ。

 

 

 

 

 

 

 

KGN_works氏の、
「学問の自由を云々するなら『軍事研究も好きにさせろ』が言えないとねえ」というTweetを見た直後の私は、
「なるほど、軍事に悪用される恐れがどうのこうと考えず、ひたすら自分の研究に打ち込むのが学者として正しい態度なのだな」
と思ったが、
湯川秀樹氏の世界規模の平和思考を知った後は、自分の視野の狭さを思い知らされた次第。

こうして私がブログを更新できるのも平和な環境に居るからこそであり、ありがたい事である。
【追記、その1】
多様性を云々するならば、
「軍事に関わる研究だから何? あなたは日本に学問の自由があるのを知らないのか? ゆえに私は軍事研究を好きなだけ行ってよい」
というスタンスの学者が存在してよい一方で、
「平和の環境なくして学問は成り立たない、平和の事にも思いを馳せつつ研究活動しよう」
というスタンスの学者が存在してもよいことになる。

多様性を重んじている御方とお見受けするKGN_works氏と3803masa氏、この考え方については賛同してくださるはずと私は推測する。

もちろん、次のようなお言葉をいただく可能性もゼロでない。
「確かに学者には、」
『もしも自分の研究結果が、未来のどこかの時点で軍事に悪用されて、』
『その影響で誰かの平和な環境が脅かされて、』
『その際の私は憂慮して狼狽するだろうから、』
『今のうちに軍事転用を認めない旨を世間に表明しておく必要があり、云々』
「という想像に思考のリソースを消費しながら研究を進めるスタンスを採用する自由もあるが、」
「これは本来あるべき正しい学者像から外れたスタンスであり、」
「学者として異様なスタンスであり、」
「よって『肯定的に評する要素は一つもないスタンス』という結論になる」
【追記、その2】
KGN_works氏は、Twitterで次の論理を披露していた。
前提:地球上には、「そこに事象があれば研究したくなる人」が存在する。
結論:ゆえに、「軍事研究を制限しないのが重要」という理屈になる。

3803masa氏は、Twitterで次の論理を披露していた。
前提:自分自身は、「興味が湧けば掘り下げたくなるのが研究者」と思っている。
結論:ゆえに、「軍事研究するなと発言するのは違う行為」という理屈になる。

これらの論理に私は違和感を覚えるが、これは私だけの特殊な思いであろうか。
論理に詳しい御方は、「その二つとも前提と結論がきれいに繋がっている論理であり、なんら飛躍はない、変だと思うほうがおかしい」と仰るのだろうか。

【追記、その3】

自分の新規ツイートを2つ追加。

 

 「軍事研究したくなる人が居るから」という理由だけで「軍事研究の制限をしてはいけない」と結論してよいのだろうか。

例えば、次のような主張の仕方をすれば違和感が減るのだが。

「軍事研究を制限した場合、これこれのメリットとデメリットがあると私は考えました」

「軍事研究を制限せず自由に行う場合は、これこれのメリットとデメリットがあると私は考えました」

「これらのメリットとデメリットを比較した末に、『我が国は軍事研究を制限しないほうが良い』と私は結論しました」

「その詳細を次のリンク先に記述していますので、お疑いの読者さまは存分に検証してください」

論理に詳しい人は、「そのように長々と述べる主張の仕方は必要ない、『軍事研究したくなる人が居るから軍事研究を制限するな』という主張で十分だ」と仰るのだろうか。